日本が世界に誇る町工場の実力とは!?
坂正範(まさ)です。本日は、下町ロケットのような町工場を取り上げていきます。
グローバル賞を受賞した代表の髙山隆志が、18歳の時にした「世界を取りに行く」という決意は、30年を経て現実のものとなった。世界のカリスマ脳外科医たちの「パートナー」に成長した高山医療機械製作所の底力とは。
町工場が抱える「技術の伝承」という問題
高山医療機械製作所は1905年創業の職人による凹み磨きの技術で、医療用刀剣類を製造してきた老舗であり、現在の髙山社長で4代目となります。髙山社長が先代から技術を学ぶ際に、「技術の伝承」の難しさに直面したそうです。
当時の日本の医療機械製作の現場は、職人技による多品種少量生産の世界。加工が難しい金属相手の手仕事は複雑な工程が多く、機械化は非現実的と思われていた。
「私は先代のもとで18歳から手仕事を学びましたが、自分は先代と同じものを作れるのか、ほかの職人を育てられるのかと不安でした。その上、職人が一人前になるまでに5?10年はかかる。家業を継ぐと決めた時、私は『技術の伝承』という壁にぶつかり、深く悩みました」
「技術の伝承」という課題に直面し、23歳の若さでドイツの工場の視察に訪れた際に、少人数での機械化が進むドイツを見て、1台の工作機械のないところから、作業の機械化を宣言したそうです。
技術の難しさから機械化については、社内からの猛反発に遭ったそうですが、機械で自動工作するプログラムづくりを手探りで開発に着手した結果、大幅な機械化に成功し、大量生産が可能となったことから、年商3000万円から5億円に成長させ、会社の「規模」は小さくても、大きな可能性を秘めた「小さな大企業」を発掘するスモール・ジャイアンツ プロジェクトにて、グローバル賞を受賞しました。
特筆すべきは、商品の質の良さであり、海外売り上げは全体の3割を占めることからも分かる通り、商品の質は世界中から認められ、国内では9割の脳外科手術で活躍していると言います。
日本には、世界に誇る技術を持った町工場が多く存在し、技術革新に大いに貢献してきました。しかしながら、高齢化が進む一方で、後継者に恵まれず、倒産の一途をたどる会社も少なくありません。
高山医療機械製作所だけでなく、日本の財産とも言える町工場の技術をいかに後世に伝承していくか。これもまた、今の日本が抱えた大きな課題なのかもしれません。